Interviewer(聞き手):掟ポルシェ
2016年1月14日 東京都内某所にて
ー新作アルバム『Rêve Désir(レヴ・デジール)』、素晴らしかったです!29年振りのリリース作品ですよね。
ZIN:マダム・エドワルダっていう名義に戻って6、7年やってると、昔の曲も頻繁にライブでやりながら、新しい曲も溜まっていくので。何年か前からレコーディングしていたんですけども、挫折をしていて。何回か。
ギタリストが脱退したんで、一旦それはお蔵入りになって。それでまた始めたんで2回やってるんですよ、実は。本当はもっと前に出すはずだったんだけど。
ーギターが変わる前の音源は入ってないんですか?
ZIN:入ってない。また違うバージョンですね。
ーアルバムは二部構成になってますよね。前半と後半に分かれていて、後半はカセットブックでリリースされていた『illumine』風というか。前半後半に分けた意図は?
ZIN:レコードのA面とB面の感覚をCDで出したかったんですね。アンコール的な意味も含めてるんだけども。ライブが始まって、幕が開いて、ステージが終わって、アンコール後はまた違った世界といったような...。ライブで見ているA面の表マダム、ライブで見られないB面の裏マダムというようなイメージですかね。
ー裏マダム! いい響きです!
ZIN:で、裏マダム的な世界が(笑)(裏マダムと言っていいのか)わからないんだけども、自分が普段ライブでは披露できない音の世界をちょっとそっち(裏マダム)で出してみたいと。
ーその表と裏を繋ぐのが、無音のトラックで。
ZIN:無音の曲を入れると気分が変わるでしょ? ダダイズムとかシュールレアリズムとか、アートが好きなんですよ。で、音楽のシュールレアリズムとかダダイズムって何なんだろうなって考えると、無音があるだろって昔からずっと思っていて。何でもないものがある、みたいなところが「無」なんだよね。無=死だとか色々ね。無音の歌をシュールレアリズム的な解釈として1度入れてみたいと。
ー無音の部分の長さが69秒なのは何か意図が?
ZIN:69っていう数字が好きなんで。歌の中でも色々出てくるよね。
ゲンズブールの歌だと、69 année érotique(『69年はエロの年』)って曲もあるね。エロティックな数字だと思うんですよ、69って。デヴィッド・ボウイも69歳で亡くなったけど。
ーマダムと言えば、ZINさんのボーカルスタイルが独特ですけど、影響を受けたボーカリストなどは?
ZIN:歌い方で影響受けた人はいないかもしれないけど……誰だろうね? スターはやっぱりデヴィッド・ボウイだったり、ピーター・マーフィーとかね。あの辺の人たちの歌い方はカッコいいなと思いましたよ。セックス・ギャング・チルドレンとかあの辺も当時は聴いたけど、アンディ・セックス・ギャングみたいな高音は出せないですね、自分は(笑)。バースデー・パーティーも好きだったけど、ニック・ケイヴのああいう歌い方も(自分とは)ちょっと違うし。シャウトできないしね。
ーシャウトするZINさんも見てみたいですけどね(笑)。曲はどうやって作ってるんですか?
ZIN: 基本、自分で作詞作曲して、大体の骨組みをギターとピアノで作って持っていく。それをメンバー各自アレンジしてきて複雑になってくる。インストゥルメンタルの曲は全部自分で作って持っていきます。
ー打ち込みの作業も全部ご自分で?
ZIN:ゼウス・マシーナ(ZEUS MACHINA) の頃は打ち込みでやってたけど、
最近は(ライブでは)してない。要するにシーケンサーで多重録音してるだけ。その場でリアルタイムで弾いたのを、何回も重ねて。
ー現在の製作に関しては、ほぼZINさんの意向が100%?
ZIN:100%はないだろうけど…やっぱりメンバーの意向もあるからね。50、60くらい作って。その後、皆で作ろうねっていう感じ。
ー(手元に歌詞カードを発見して)85年以前の歌に関しても、未だに歌詞を確認されるんですか?
ZIN:確認しますよ。CDバージョンとライブバージョンとあったり。ライブでも、その時によってちょくちょく歌詞変えたりするんで。作っては壊し、作っては壊してと…完成まで時間がかかる曲もあるね。
ーライブで演奏のアレンジ変えるバンドって結構いますけど、歌詞の方を変える方はあまりいないですよね。
ZIN:「また変わってるな」って(笑)。
ーそんな頻繁に。1stアルバムが出た経緯もお聞きしたいんですけど。
ZIN:CITY ROCKERが「ウチから出さない?」って話をしてきて。
ちょうど『OUTSIDER』にも収録された後だったから「ああ、いいですよ」って受けた。
ー制作期間はどのくらいでした?
ZIN:すごいタイトだったような気がする。何日間だったかとかは覚えてないんだけど、ホント、1~2週間でやったんじゃないかな? やりたいこと色々詰め込んで。その時に持ってた曲を全部入れたいっていうのはあったんだけどさ、1つの物語を作ろうかなって思ってたね。A面とB面みたいな普通なのもつまんないから、A面とZ面にして。
そういう感覚が全編に渡って入ってる。「こうなるだろう」っていうところを、普通にそのまま置くのは嫌っていう。もっと捻ってとんでもないところに置いてやろうとか、そういう遊びの中でのレコードだったね。
ーレコードの最後の溝がエンドレスで、ドラム音のループになってて。
ZIN:ループでずっと終わらなくさせてやれ、みたいな。延々と出来るんだけど、CDで再発の時は何分で切ろうか悩みました(笑)。もっともっと実験的なことをやりたかったんだけど、あれで完結しちゃったね。
ー結成が1980年。まだバウハウスがファースト出した頃ですよね。
ZIN:そう。バウハウスがファーストLP出して、紅蜥蜴の新譜が出てっていう時代。マダムを結成して間もない頃だったかな、よく御茶ノ水のシスコに行ってたんだけど、
レコードの新譜がたくさん壁に飾ってあって。ある時ふと目に入った1番左がバウハウス(『In the Flat Field』)で、その隣りが紅蜥蜴(『けしの華』)。で、何か欲しいなと。当時はどっちもよく知らなかったんだけど、紅蜥蜴を買いました。
ーそこでバウハウスを買ったからマダム・エドワルダをはじめて、みたいな話を想像したんですけど(笑)逆でしたね。
ZIN: ジャケ買いでどっちも黒のカッコイイジャケットで、文字が赤い方と白い方どっちにしようかなって、赤い方を買ったんだけど、白い方を買ってたらバウハウスだったと思う。でも紅蜥蜴から入ったから。
ーじゃあバンドを始めた当初は、紅蜥蜴やリザードっぽかったんですか?
ZIN:そういうわけではないけど(笑)。その頃インディーズ盤みたいなのを知って、色々買い始めた。もうマダムエドワルダは結成してたんじゃないかな。
ーバンドを始めた当初はどんな音楽性だったんですか?
ZIN:バンドの音楽的にはもうポジパンじゃないですかね。4ADだったり、あの辺の音を当時は真っ先に聴いてたから。やりたいのはこういう音だなって。これ以上弾けないとか叩けないとか、4人で出す音の限界値まで持って行ってやってましたけど。今聴いても面白いなと、そう思う。パンクっぽかったですよね?
ー『OUTSIDER』に入ってるライブ音源を聴く限りでは、確かにパンクっぽいです。
ZIN:荒削りなパンクっぽいところがあったんだけど、目指してるのはリアルパンクじゃなくて、違うパンク。パンクの人たちがやってないアプローチで新しいパンクをやりたい、っていう意識があった。
ー本来の意味でのポジティブパンクってことですね。
ー70年代はポップ・グループやスロッビング・グリッスルが好きだったとか?
ZIN:聴いてましたね。中学生だね。
ー中学生がそういう音楽をどうやって知るんですか?
ZIN:朝日新聞。そのライターさんに会いたいんだけど、音楽コーナーがあってね。
そこにジャパンとかポップ・グループとか、ジャン=ジャック・バーネルとかの新譜紹介が出てた。
ー一般紙にそんなコーナーが!?
ZIN:そう。出る度(※月に一度朝日新聞夕刊に掲載だった模様)に買って。スロッビング・グリッスルはそういうの持ってる友達がいたんでカンとかアモン・デュールとかも。で、遊びに行ってはレコード借りてきて、みたいなね。周りにそういう(ユーロロックとか)のを持ってる連中がたくさんいた。
ーさすが東京ですね。
ー活動当初はハードコアパンクとの対バンも多かったですよね。『OUTSIDER』にも収録されてますし。
ZIN:ハードコアのバンドと一緒にやってた結果、『OUTSIDER』に入ってるんですよね。81~ 82年当時、ウチらもディスチャージとかハードコア好きだったんで、ライブ遊びに行ったりしている中で、バンドやってるんだったら一緒にやろうぜ、って。
ーポジティブパンクとハードコアパンクのバンドが一緒にやってたのが結構意外というか。メタルとパンクが対立してたり、イデオロギー闘争が色々あった時代じゃないですか。
ZIN:「パンク系はこっち側だ」みたいな感じがあったみたい。
ー大きく言えばポジティブパンクもハードコアもパンクだと。
ZIN:「ディスチャージ好き? じゃあ仲間だ」みたいな。(本当にそんな会話をしてたかは)よくわかんないけど(笑)全く意識せずそのシーンの中にいたかな。
ーラフィンノーズの昔のインタビューで、ZINさんがメンバーの家に遊びに行った時、「1度月の見えるところで詩を読んでみたかったんだ」と言って、皆が飲んでる時にベランダに出て行って1人で詩を読んでたっていう話を読んで衝撃を受けました(笑)
ZIN:それはね、大阪のYO-RAN (元メンバー。現DJのYOJI BIOMEHANIKA)の家に泊まった時。それやったら「(こんな深夜に)何やってんだ、お前バカか」って。
ーZINさんはそういう度を超えてシリアスな人だと思ってました(笑)84年に、NHKの『インディーズの襲来』という番組に出た時、「20世紀の世紀末は嫌いです。ハッキリ言って、軽いから」と発言したことで一時物議を醸しましたよね。
ZIN:そうですね(笑)「失言した」みたいなこと言われたんでね、あんまりよくなかったかもしれないですね。あの頃は、わりと皆で楽しく的な時代だったんですよね、バブルだったし。でも、たくさん話した中の1つなんですけど、そこだけ取り沙汰されたんで。19世紀末、18世紀末っていう時代が好きっていうのも、もちろんあったんだけどね。
ーZINさんは生まれも育ちも東京ですけど、ディスコには行かれてました?
ZIN:行きましたよ、ツバキハウスとか。他にはピテカン、六本木なら玉椿あたり。ディスコじゃないけど、赤坂ムゲン、西麻布の328とか、よく行ってました。(ツバキハウスでは)ロンドンナイトくらいしか行ってなかったけど。わりとキャッチーなものがかかってたかな。
ーナックの『マイ・シャローナ』とかがかかってる時代ですね。
ZIN:自分でクラブ・ワルプルギス(CLUB WALPURGIS)をやる前後は結構熱くディスコ行って、DJの人たちと話したりしてましたよ。
ークラブ・ワルプルギスを始められたのは、やはりリスナー側にポジティブパンクを聴く土壌がないというのが大きかったんですか?
ZIN:そうなんです。色んなディスコ行ってDJと友達になって、聴きたい曲をかけてくれって言うんだけど「ごめん、それかけられないんだ」「なんで?」「いや、もっと踊れる曲をかけろって言われてるんで」って。
彼等はレコード会社の契約もあるらしくて。
ーレコード会社と契約してるのが当時のDJなんですね。
ZIN:実際はよくわからないけどね。「デッド・オア・アライブだったらかけられるけど、ヴァージン・プリューンズはダメなんだ」とか。
「好きだけどね、オルタナティブは」って言うけど、そういうのはかからない。どこに行ってもほぼかからないからってこともあって、じゃあ自分たちでやろうと。
ーイギリスにはバットケイヴみたいなのがあって。やっぱりその日本版が必要だってことで始めたと。
ZIN:まあ、(日本では)その走りですね。当時はみんな略して「ワルプル」って言ってましたけど、オルタナティブとかポジティブパンクがかかるクラブはワルプル(クラブ・ワルプルギス)が最初だと思います。当時は他になかったと思いますね。思えば、結構長いですね。83、84年ぐらいからですから。
ーお客さんの土壌が出来上がって、いいフィードバックがあるわけですよね。それによってバンドの集客が増えたりとか。
ZIN:それはあまり関係なかったかもしれない。クラブカルチャーとバンドって、また全然違うものなんですよね。クラブでは会うけどライブは行かないっていう人は結構多かったね。両方行くのは本当に一握り。クラブ・ワルプルギスで日本のバンドを知った人もいたかも。「マダム・エドワルダ? そんなバンドいるんだ」みたいな(笑)。
ー日本のバンドの曲もかけてました?
ZIN:ほとんどかけない。リクエストがあれば嫌々かけるけど。
ー嫌々(笑)。当時は日本語の曲をクラブでかけること自体難しい時代でしたしね。
ZIN:ワルプルギスは洋楽クラブだって思ってたから。
ーじゃあ自分たちの曲もかけたくなかったんですね。
ZIN:そう。(当時は)あまりマダムをかけようとは思ってなかったですね。
ーこれは長年の疑問だったので聞いておきたいんですけど、ニナ・ハーゲンが85年に出したアルバムの中の『1985 Ekstasy Drive』という曲が、マダムの『Princess Reta』のリフまんまなんですよ。特にイントロとか。
ZIN:そうなんだ!どっちが先なんだろう?
ー出た順番から言うと『Princess Reta』の方が先ですね。マダムがニナ・ハーゲンに影響を与えてたのか、それとも
さらにそれよりも何か元ネタがあったのかはわからないんですけど。
ZIN:もしかしたらニナが真似したかもね。っていうのは、会ったことあるから。84年にロンドンで。「ウチ遊びに来なさいよ」って言われたんだけど、帰んなきゃいけないから「ごめん、帰る」って言って。そんなこと関係なく遊びに行ってればよかったね。で、「こういうバンドやってて」みたいな話をしてるんで、きっとニナは知ってるはずなんだよね。
ーその時のイギリスへの渡航目的は?
ZIN:レコードの買い付けとクラブ巡り、アンティーク探し。クラブではバットケイヴとか見に行ったんです。イギリスのカルチャーが1番新しい(ホットだ)と言われてる時代だったんですよね。(同じくポジパン系DJイベントの)クラブ・ワルプルギスをやってたんで。
ZIN:スタッフ全員で行ったんですけどね
ースタッフ全員! それはワルプルギスの売り上げが結構あったってことですか?
ZIN: さあ、バブルだったからですかね?(笑)オーナーが連れてってくれた。1か月くらいいたのかな? シスターズ・オブ・マーシーとかダニエル・ダックスとか見て来たんですけど。クラブも梯子して多分全部のクラブを行ってるはず。もっといたかったですね。
―羨ましすぎます!80年代にフールズメイトに出てくるようなバンドを生で見てるわけですもんね。
ーその頃、音楽誌は何を読んでました?
ZIN:雑誌? 宝島かな。もちろんフールズメイトも、DOLLも。あと、阿木譲さんがやってたロック・マガジンとか、また面白くてね。
ー当時の音楽誌って、宝島以外は結構難しい言葉が並んでましたよね。
ZIN:小難しいのが好きだったね。
ZIN:(読みはじめの頃は)よくわかんないんだよ、書いてあることの半分も。「形而上的な死」とか言われると崇高な感じがするじゃないですか。面白かったですね。学ぶものが多かった、そういう時代だったよね
ー北村昌士さんとか、あまりに書いてる文章と本人が違いすぎて、お茶目で拍子抜けしますよね。
ZIN:そうなんですよ。そこが、また奥が深いところで。
ー北村さんとお付き合いってありました?
ZIN:あんまりないですね。数回会ったくらい。北村さんのYBO2復活のとき一緒にライブやったんだよね。DIFFERANCEもだったかな? アイリッシュトラッドの話しかしなかったですね。「ケルトってこうですよね?」みたいな。自分もケルト好きだったんで、妖精の話とか色々してくれて面白かったです。
ー全然関係ない話で恐縮ですが、スポーツ歴とかあります?
ZIN:ありますよ、水泳とかね。子供の頃じゃないですかね? すぐやめちゃいましたけど。
ー意外ですね。
ZIN:肺活量が結構あるっぽくて。歌でも、すごい声が出るんですよ。腹式呼吸でボイストレーニングをやった成果とかもあるんだろうけど、やっぱり水泳の時の肺の空気の入れ方みたいなのが、もしかするとあるのかも。
ー水泳をやった経験がボーカリストとして生かされている。
ZIN:子供の頃水泳やってた子はボーカリストが向いてるのかもしれない。かどうかはわかんないけどね(笑)。
ー戸川純さんも同じこと言ってましたね。水泳をやっていたおかげで肺活量があるから、声は出るようになったそうです。
ZIN:あ、本当? データがあるわけじゃないけど。でも、そんな気がする。
ー今だから話せることもあると思いますが、85年に一度解散した理由はなんだったんですか?
ZIN: わかんないです(笑)解散の理由は何なんでしょうね? メンバーチェンジがちょこちょこあったからね。それが原因じゃないかな。ドラムが抜けたり、ベースが抜けたりして。その時点でグラグラだったんでしょ。
ーそんな中で『illuminé(イリュミーヌ)』がリリースされましたけど、制作はどうしたんですか?
ZIN:制作は全員でやりましたよ。解散する気はなかったから。
ーじゃあ、『illuminé』の製作途中で解散することが決まったというか。
ZIN:(運命の)流れでね。
ーマダム解散後は、マリー・ルイーズ(MARIE LOUISE)を始めて。マダム・エドワルダとは違った方向性というか。
ZIN:あんまり違いを付けない方が良かったんでしょうけど、今思うと。「皆、そういうのが好きだったんでしょ?」っていう話で。
ーお客さんとしては、どうしてもマダム・エドワルダみたいなものを期待しますよね。
ZIN:バウハウスがなくなってラブ・アンド・ロケッツになったり、ポップ・グループが解散してリップ・リグ・アンド・パニックとかピッグバッグになったら、音楽性変わったじゃない? その違いだよね。やっぱり元の方がいいな、って思った。その後のもいいんだけど。
ー自分たちも、そう見られていると。
ZIN:そう見られてるだろうなっていう感覚は、今から振り返ればある。でも当時はそんなこと思ってない。もっともっと行け! みたいな。無敵の状態だから、20代は。
ー周りとのバランスを見ながら行動しなくてもいいですもんね。
ZIN:そう。したいことやってたんだと思うけどね。マダムとはコンセプトの違うものをやろう思ってたんだよ。
でも(マリー・ルイーズは)短かったからね、(活動期間は)2年くらい。
ー今回インタビューするにあたって資料を探したんですけど、マダム・エドワルダって、ZINさんのBlog以外は極端にネット上に情報がないんですよね。
ZIN:インタビュー自体あまりないから。それほど興味を持たれないバンドなんじゃないですか?(笑)
ーそんなことないですよ! 所謂ヴィジュアル系と呼ばれるものの元祖的存在にもなるわけですし。
ZIN:そうなんですかね。あんまり自分では、そう思ってないけど。ヴィジュアルの元祖なのかな? 一時期そう言われてて、「そう言われてみればそうかもね」くらいの感覚しかないです。
ーでも今回アルバムを出したことによって、若い層も聴くようになるといいですね。年齢層関係なく響く素晴らしいアルバムだと思いますし。
ZIN:うん、そんな気がしてるんですよね。皆に聴いてもらいたいですね。
ーもうバンドは一生やってくものだという認識ですか?
ZIN:そうね。ライフワークになってるね。一生やっていけるといいな。バンドじゃなくなっても音楽をやっていきたいね。
※このインタビューは、別冊少年チャンピオン連載『掟ポルシェの死ぬ気!全力音楽塾』2016年3月号掲載のものに、大幅に加筆・編集したものです。
別冊少年チャンピオン、掟ポルシェ様のご厚意に感謝致します。
※掲載記事の無断転載を禁じます。
2016/11/12公開...
...To be continued